受験英語に思うこと
こんにちはbBです、今日は短く独り言を書いておきます(※追記:短くナイヨ!)
(※追記:結局長くて草ってなったんで目次後付けしときます)
受験英語≠英会話
英語が苦手な子ってたくさんいるんですよね。私の同級生も半分以上が苦手意識を持っていたと思います。ついこないだ(2年前)まで受験勉強してましたがほとんど楽しくなかったですもの。あれは良くないと思うんですよね(いやあ言うのは簡単ですね)
もちろん受験に関しては受験は辛いものだ!とか楽しみたいなんて甘えだ!などご意見あると思います。まあかねがねその通りなんですが、私の言いたいこととはちょっとズレちゃいますね。受験が大変なのは良いと思います
じゃあなにが不満かというと受験英語のせいで過剰な英語苦手意識が助長されているということです。断言しちゃってますが、本当にそう思うんですよ。その理由を説明していきます
受験英語が助長する英語アレルギー
受験問題って基本的に答えは一つなんです。数学や物理はもちろん、本来答えは読み手の数だけあって良いはずの国語の小説問題とかもそう。今の教育は受験に向けたものだと思ってます。ちゃんと正しい回答を出さなければならない、そう小学校から少しずつ刷り込まれていきます。いつしか間違えることは悪になっていませんか?
間違えることを自分で恥じることは悪くありません。その悔しさから成長できると思います。けれど、間違えることが恥だという空気感。これは良くない
小さい頃は目立ちたくて授業で手をあげる子は多かったと思います。しかしどうでしょう、小中高と歳を重ねるごとに手を上げづらくなっていく。これはなにも思春期だからという理由だけじゃないと思います
私はいつしか「間違えるくらいなら何も言わないでおこう」という、ある種の一体感が生まれているのではと感じるようになりました
これって英会話コミュニケーションでのなかなか話せないときの感情にも通じると思うんですよね。いつのまにか受験英語も英会話も同じカテゴライズをしてしまって、その全てに苦手意識をもってしまう人が大勢います
これからの若い世代を英語に強い人材にするのなら受験英語とコミュニケーション英語を、もっと分けて考えるマインド教育が大事なのではないでしょうか
そう思う根拠(オーストラリア短期留学とある同級生)
というのも理由があって、私が短期留学に行った時の経験が今の考えを形づくっています。学校の短期留学で何人かの同級生とオーストラリアの学校へ行った時のこと。その中で一人、本当に英語ができない...というか勉強ができない子がいたんですね(おいヤメロ)まあ愛されキャラで良いヤツなんですが勉強に関しては本当にダメで、自分でも自信を失っているようでした
「学校で英語で授業なんて無理...」
初日になんで来てしまったんや...という顔でそう呟く彼を覚えています。そして始まる授業。最初は間違えて変なことを言うくらいなら黙っとこう...という感じの彼。けれど周りは楽しそうに友達を作っている。このままではいけない、そう思ったのでしょう
「は、はろー?まいねーいず...」
私と話していた女の子にやおら挨拶を始める彼。さっき挨拶したぞと内心思いながらも、彼にとっても楽しい思い出にしたいなと思いフォローに回ることにしました
そしてあっという間の1日が終わり...
英会話は楽しい!!
その彼は新しい友達に囲まれていました。ジャパニーズイングリッシュ、ブロークンイングリッシュだったかもしれません。きっと受験英語的には間違いだらけだったと思います。けれどあの瞬間のコミニケーションにおいてはそれが正解だったのです
この瞬間に彼の中で受験英語と英会話が別物になりました
コミュニケーションにおいて一度自信をつければ、それからというのは早いもので自分からどんどん話しかけて、わからなかったら私の腕を引いて訳させながら、また新しい友達を...ともう止まりませんでした
そして帰国の日
彼はこう言いました
正直これ聞いて爆笑したのを覚えてます。そりゃコミュニケーションは楽しいぜ!でももうちょい言い方があるやろと(笑)けれど彼のしみじみとした表情をみて
『ああ英会話の楽しさを知る前に英語に苦手というレッテルを貼っていたんだな、貼らざるを得なかったんだな』
と感じたのです。このレッテルを貼らせているのが受験英語だと思うんですよね
英会話...というかコミュニケーションは楽しいぞ!受験英語とは全く別もんやぞ!ってもっと伝えたいし、広まって欲しいし、なんなら学校でそう教えて欲しいと思います
「本当は学ぶことは楽しいんだけど受験はキツイから切り替えて頑張ろうな」
っていって欲しいし
「お前ら英語のテストの平均点は悪かったけど、とりあえず英語で立食パーティーだ!コミュニケーション楽しもう!」
みたいな先生いないかなあ(いないよ)
最後に
コミュニケーションって本質的に楽しいんですよね。その本質には言語とか関係ないと思います。けれど私たちは他国語になった途端に学生時代のトラウマからか、ときどき臆病になってしまうときがあります。そんなときは是非、勉強とか辛いこととは切り離して、純粋に会話を楽しみたい。そんな心の余裕を持ちたいものです...
冒頭で短くって言ったんですけど長くなってしまった...反省...。ではまた