F1ファンの勉強づくえ

〜語学を学びF1海外観戦を目指す成長日記〜

ネットの"繋がり"

こんにちはbBです、忙しくはなりましたが更新したい欲は健在です

 

目次じゃよ

 

シルバー事件というゲーム

一応、シルバー事件公式サイトはコチラ

 

 いきなりゲームの話かい!と思われるかもしれませんが、これは哲学的な話題になりますので、ええ、お待ちになってどうか

 

シルバー事件』はサイコホラーとサスペンスの混じった捜査が主題のシナリオゲーム。1999年にリリースされた古い作品で、なんなら私と同い年ということになります。なぜそんなゲームを私が知っているかというと、PS3でレトロゲーを漁っていた時に移植版が目に入り、その作品紹介の"あらすじ"に妙な興奮を得て購入したからです。当然今のゲームと比べると操作性やゲーム性は劣悪で、ゲームだけならまともにプレイできたものではありません

 

しかし、その深く重いシナリオと個性的なUIなどの画面デザインは唯一無二と言っていいでしょう。上記の公式サイトの雰囲気も、その独特な世界観を表しています。さらにいえば、その奇妙なストーリーはどこか予言的で、今こそプレイして欲しい、そんな物語。人のあり方や本性、裏の顔、醜い本質と、それでも希望を持てる人間の性善、絶望。そこらのありふれた自己啓発本の百万倍、心に響く作品です

 

ブログってなんだろう

 そんなシルバー事件の作中にとあるバーテンダーが登場します。その台詞が、SNSの発達した"今"を見通したように感じれられるのです。そのやりとりが以下のもの

店主「たとえば日記を 公開したりするでしょう?」

  「自分自身と 自分の周囲の世界だけを表す言葉を散りばめて・・・」

  「本来 そんなものを読んで 正しく理解できる不特定多数の 読者など存在しない」

  「けれど そんな自分だけの言葉を 理解して共感してくれる 読者を想定して書かれている」

  「世界中の誰もが見られるネットに 本当は誰にも理解できないことを 書き記して公開してるんです」

  「それはメッセージですらなくて 主張でも自己顕示欲でもなく ただのつぶやきです」

  「でも それが必要なんでしょうね 若い人たちにはね」

 

 客「それをよく読んでるあんたも・・・」

 

店主「ええ 病気ですな」

ブログをしてる身としてもなんだかハッとさせられますよね。私は"誰にも理解できないことを"書いているとは思いません。しかしそれと同時に 、私のこの気持ち100%を理解して貰えるとも、また思えないのです

 

「つぶやき」というのは、まさにそうだと思います。つぶやきや、その繋がりに意味を求めることは間違いなのでしょうか。答えは誰にもわかりません。けれど、そのつぶやきが誰かを笑顔にしたり、勇気付けたりできるなら、それは意味を持つと思います

 

言い換えると、つぶやきに意味があるとするならば、それは読者が"受け取る"という行程を経て、初めて完成するモノなのかもしれません

 

日記はバトンのようなもので、筆者がバトンに込めた"想い"などは誰にも理解されないかもしれません。しかしバトンは繋ぐことにこそ意味があるから。だから私は書き続けます

 

漠然とした願い

 私はツイッターをやっていますが、あの「つぶやき」というものには漠然とした願いが、無意識に込められていると感じてます。誰かと繋がりたい、誰かに見て欲しい、共感して欲しい、誰かと居たい。核家族化やご近所、地域の繋がりが薄れた現代社会で、私たちは心の何処かに一抹の寂しさを抱えて生きています。だからこそつぶやきがそれに代わって広がるのでしょう

 

ネット社会において我々は皆が隣人なのです

 

共感者はあらゆる場所に居て、

そしてどこにも存在しない幻でもある

 

だからこそ、少なくなった現実世界の人との繋がりを大切にしてゆきたいですし、ネット上でもまたご近所さんのように平和なお付き合いを心がけたいものです

 

ではまた